sumikaの新作『SALLY e.p』が発売されました。
12/5から文章を書き始めて、今日がもう12/9だから、この最初の挨拶を4パターン書いては消しています。
1日で書き終わる予定だったので、12/5の最初は「明日はフラゲ日ですね!」から始まっていて、なんだかその下書きも愛しい。笑。
さあ、無事に発売された新作。
待望の新作。
これは、皆さんが待望していたという少々調子に乗った感じではなく、僕らが早く出したかった方の待望です。
毎回思うけど、曲作り始めてから、発売まで長い。
毎度、3、4回ぐらいは出ないんじゃないかと不安に思うターンがあるね。
それぐらい長い。
今作のレコーディングは、前作『アンサーパレード』のリリースツアー中盤戦の8月頃〜10月中旬にかけて行われました。(ちなみに一番最初のデモを作ったのは6月上旬)
2016年はとにかく激動で、カレンダーを見返したら1ヶ月のうち、2日を除いて毎日メンバーやスタッフに会っているような状況が、年始からずーーーっと、ずっと続いていました。
家族以上に一緒にいて、学校に通っていた頃のクラスメイト以上に顔を合わせているものだから、嘘なんて、顔や空気感を見ていれば大体バレてしまう訳です。
sumika発足時のステージメンバー3人と、後から加入したおがりんの差なんて、気付けばこれっぽっちもなくなっていて、ステージに立っているメンバーと、裏で支えてくれているスタッフの、表方やら裏方の垣根なんてものも、全くなくなって。
簡単に言えば「チームがどんどん一つになっていくなあ」という感覚が本格的に芽生えていた頃でした。
ライブに限らず、どんな活動をやっても、自分達が納得できた日は「今日は良かったな!」と言え合えたし、なんだかモヤモヤして終わってしまった日は「なにが良くなかったんだろうね。。」と、言い合えた。
これは良い意味で、音楽活動を出来る事が、特別な事ではなくて “日常” になった事が大きいんじゃないかなって思います。
長年やってきたけど、ようやくバンド活動の本質に、一歩近づけたんだなって。
—と、
そのように言い切れるまでは、少しだけ時間がかかったので、まずはそのような、バンドの内情のお話からさせて下さい。

sumikaはステージメンバーだけでライブをする事が、ほとんどと言っていい程になくて、常にゲストメンバーを迎えるスタイルで活動をしています。
当然、毎回スケジュールの調整だったり、曲の確認の為に、こまめにスタジオに入ったりしているのですが「この人とはこれが出来るけど、あの人とはこれが出来ない」なんていう事も、たくさんありました。
こういう事があるから常に新鮮な気持ちでいられるし、人によって演奏するスタイルも、人間性も様々だから、それに合わせる為には、メンバーが常に柔軟であり続ける事がすごく大事になってくる。
そのプロセスを経て、メンバー個々の成長にも繋がっていたので、sumika結成当初から、その変化ずっと楽しめていた。
しかし今年は、、、
とにかく忙しかった。笑。
自分達でも予想だにしていなかった事がたくさん起きて、その分、挑戦する事も増えて。色々な人にsumikaを必要としてもらえたので、もちろん本当に光栄な事なのですが。
いくら柔軟に対応しようとしても、それに追いつけない自分がいて、時にそれがストレスに感じる事もあった。
ぶっちゃけ、結構まいっていたタイミングもあった。
そんな時に支えてくれたのが、ベーシストのゲストメンバーの3人でした。
2016年の上半期を支えてくれたトリくん、東名阪のワンマンツアーを支えてくれたタクミ、下半期を支えてくれたイジー。
この3人がいなかったら、今年の僕らは確実に息詰まって、行き詰まっていたと思う。
サポートするメンバーという垣根を越えて “ここに居る事が、当たり前“ だという気持ちで、sumikaに接し続けてくれた。
これは決して当たり前な事ではないし、
僕が逆の立場だったら「お前らがメンバーなんだから、まずメンバーがしっかりリードしろよ!」って思っちゃうなあ。なんせ器が小さいから。笑。
演奏能力が高かったのは勿論だけど、人間能力が高かったんだね。
メンバーや、スタッフの事、sumikaの中で過ごす時間をとても好きでいてくれた。
そしてメンバー以上に、メンバーらしく動いてくれた。
これに何度救われたか。
ひとえに、この3人だったから成し得た事だと思っています。
2016年がsumikaにとって良い年になったのは、間違いなくこの3人が居てくれたから。感謝です。
これからも頼らせてね。遠慮なく。
sumikaのゲストメンバーとかは抜きにして、人間としてずっと味方でいたい。



—そしてsumikaスタッフチーム。
僕はライブ制作の専門学校に通っていたので、いわゆるスタッフワークと呼ばれるものが、結構好きです。だいぶ好き。
そもそもバンド活動っていうものは、音を奏でるだけじゃなくて、音楽以外の表現方法とも手を繋ぎながら、それをどうやったら上手く人に伝わるのかを考えたり、同じ意志を持った仲間と刺激しあい、時に協力しあったり、フロアもステージも、私生活も全部ひっくるめて、総合的に感動するのが、醍醐味なんじゃないかなと思っています。
演奏するだけじゃなくて、全部のセクションに自分の居場所があった方が、単純に多い回数感動出来るなって。
昔はフライヤー配りだって、物販だってメンバーでやっていたし、今だって出来る事であればやりたい。
グッズを買ってくれた人の顔が見たいし、フライヤー配った時に掛けてくれる言葉も聞きたいし、出来れば一方通行ではなくて、相互通行の対話がしたい。
「音楽家なんだから、潔くステージで全部を出し切りなさいよ」
というのは、頭では分かっていたけど、
ステージ以外でのコミュニケーションを通して、グッとくる瞬間が何度もあった。
それは事実。
しかし、とある日のライブ会場で、いつも通り僕達が物販に出たり、フライヤーを配っていたら、その会場を出ないといけない時間(退館時間)を過ぎてしまったんです。
単純に接してくれる人数が増えてきたからそうなったのですが、どんな事情があるにせよ、演奏させてもらっている会場のスタッフさんに迷惑をかけるのは違うなと思って、メンバーにも「これはもう物理的に限界かもしれない」っていう事を伝えました。
そこから数ヶ月間の間で、会場のキャパシティも急激に大きくなって(演奏するライブ会場の決め方に関しては、Nikkiのバックナンバーを読んでもらえたら嬉し身です)
あっという間に自分達が演奏をする事で、精一杯になった。
見てくれる人数が増えたって、こちら側がやる事は大して変わらないだろうと思っていたのだけど、全然違った。
ステージに上がるまでに準備する事が増えて、集中力の減り方も全くもって違った。
(そもそもやるべき事に気付けていなかっただけなのかも)
音響や、照明は昔書いていたような “この曲のこのタイミングでこんな音響とか、照明にして欲しいシート” をメンバーで書く事もなくなったし、自分の楽器の準備すらもスタッフに任せるようになって、
当然、物販やフライヤー配りをする事も出来なくなった。
心のどこかで見に来てくれるみんなにも、スタッフにも「色々任せっきりでごめんね」という気持ちがあったんだと思う。
昨年、自分が原因でたくさん休んじゃったし。
僕の口は、気付けば各所で「ありがとう」を連発していた。
申し訳ない気持ちを、ただただその言葉で埋めるように。
今思い返せば、その言葉に中身はなかったのかもしれない。
(そのときにありがとう爆弾を浴びせたみんな、本当にごめん)
とある日に、スタッフの林くん(きょうちゃん)に
「別にありがとうって言わなくていいよ。こっちだって好きでやってるんだから」
と言われた。
実は数年前にも、きょうちゃんに同じ事を言われていた。
「世界中で一番好きなものが集まっているのは、デパートでも、インターネットショップでもなく、好きだけを集めて作った自分の部屋」
これはsumikaというバンド名の由来でもある。
sumikaはどのポシションであろうと、好きを原動力にして動いているんだ。
自分に置き換えて「ほーら、音楽演奏してやってんぞ!有り難く思いやがれ!ヒェッヒェッへェ!」とか、ならないもんな。笑。
恥ずかしいよ、自作の曲のボイスメモとか聴かれたら。
赤面して沸騰して倒れちゃうよ。
だけどね、
好きだもん。
ステージで演奏してる人が好き放題やって、スタッフが我慢して仕事をしているんじゃないんだ。
心の中にちゃんと“好き“がある。
それをまずは尊重しなきゃ。
自分も、もちろん大切にしたいと思う相手の気持ちも。
そうやってみんなに伝え続けて、このチーム作ってきたんじゃないの。
音響やるのが好き、照明やるのが好き、楽器触るのが好き、グッズを売るのが好き、ライブを制作するのが好き、音楽を演奏するのが好き。
ステージ上も、ステージ裏も関係なく、色んな好きが正しく混ざりあって、それぞれのポジションに誇りを持って、今のsumikaが作られている。
なんだか急に申し訳なくなってきて「ありがとう」を安売りするのをやめました。
(反動で、必要な瞬間にありがとうって言えてなかったらごめんなさい。笑)
それからというもの、すごく気持ちが開けて、表も裏も、ステージもフロアも関係ないって言っている自分の中が、より本当になった。
物理的にも、精神的にも、メンバーにも、スタッフにも、すごく任せるようになったし、信用と信頼の境界線も濃くなった。
最近もリリース間際で、すごく忙しいなあって時に、レーベルスタッフの志賀さん(ガーシー)に、
「仕事しんどくて、辞めたくならないですか?」
って試しに聞いてみたんだけど、
「全然しんどくないね。楽しいからね」
って返ってきたから、「やっぱりな。しめしめ」と思い、こりゃ40歳ぐらいまでは、同じ物差しでいけるぞ。と希望が湧いています。
という訳で、メンバー、ゲストメンバー、スタッフと共に “日常” いや “生活” を手にしたsumikaズ一行。
“音楽” とか “バンド” とかっていうざっくりした枠組みの中で、なにをしている瞬間が一番 “好き” なのか。
そこの焦点を絞る事が出来たわけです。
餅は餅屋。それで君は何屋でいたいのさ?という再確認。サイコメトラーじゃないからね。言葉にするって大切よ。
このような経緯があって、序盤で述べたような
“一つになっている感覚“ が芽生えたんですね。
この感覚を持ってレコーディングに入れた事がすごく重要だった。
ふう、まずはひとつスッキリ(´-`)
(まだ続くので、一回トイレに行く方はこの辺りで是非)


——はい。
おかえりなさい。ちゃんと出ましたか?(トイレに行った設定)
さあ、それでは気を取り直して、ここからは『SALLY e.p』の曲の話を!
まず1曲目の『MAGIC』
作曲&作詞は私、片岡健太です。
唐突ですが、僕は12月にあまり良い思い出がありません。
(特に後半)
だって、昔デリバリーのピザ屋でバイトしてたんですもの。
「雪だから、ピザにしましょう♪」
なんていう、今思い返せばとんでもないCMをテレビでやっていて(雪の日にバイクで走れるかーい)雨が降ろうが、雪が降ろうが、クリスマス〜年末年始のあたりは強制出勤で、幸せな人達の顔を見ながら「ちくしょう、、僕もあっち側になりたい」とずっと夢見ていたわけですね。
出勤が終わって、1人で街を歩いていても、街は煌びやかだし、男女は絡み合っているし、なんだかどこにも自分の居場所がないような気がして、逃げるようにイヤフォンで耳を塞ぎ、音楽を聴いていました。
今作をリリースする時期は12月の前半という事は、以前から決まっていたので、ピザ屋時代の自分を救うような気持ちで、曲が書けたらなと思って作りました。
(もうまずその発想自体が若干暗いんですけど。そこは置いておいて。笑)
しんどい時、落ち込んでいる時に、人を笑わせたり、元気づけたりする事って、ある種で非現実な所まで行ききらないと、現実を変えられないと思うんですよね。
自分が落ち込んでる時には、何気ない事で笑えないもん。
例えば、多くの方にとっての夢の国である、ディ◯ニーランドとか、誰も自分の事を知らないような外国に旅行に行ったりだとか、そういう何気 “ある” 事でもしないと、すーぐ現実に戻っちゃう。
だから音楽でそれをやろうと思った時に、自分にとって非現実的なアプローチをやってみたいなって思ったんですね。
個人的にもやった事ない事にチャレンジして、まず自分にとって、一番何気ある事をやりたいなと。
そう考えた時にまず真っ先に思いついたのが、ホーンセクションの導入でした。
前作の『アンサーパレード』で、ストリングスアレンジに挑戦していて、sumikaのバンドメンバー(Vo,Cho,Gt,Key,Dr)以外の音が入る事による刺激を味わっていたので、非現実にジャンプしたいなら、自分自身が未知の所に行くべきだなと思い、今度はビッグバンド的なアプローチで、ミュージカルのような映像が浮かぶ曲を作れたらなと。
自分が驚かないと、誰も驚かないから。
やりたい事が見えてからは、すごく早かった気がします。
ホーンアレンジをお願いする方も、まずは自分が驚く為に、あえて自分の知り合いではない方にお願いした方がいいなと思って、ダメ元で良いので、ご相談だけさせて頂きたい方々がいて、繋がりがあったレーベルスタッフに当たってもらったところ「お願い出来るかもしれない」という返答がきて、それが、在日ファンクのホーンチームでした。
すごく好きなバンドにホーンの音を入れてもらえるんだって、めちゃくちゃ嬉しくて、驚いて。
「12月にピザ屋のバイトしていても寂しくならない感じ」ぐらいにざっくりしたイメージしかお伝えしていなかったのに、ものすごいフレーズが入ったデモが返ってきて。
ソフトシンセで音を入れてもらった時点で、もう泣けるぐらい良かったんです。
「ただ、このホーンフレーズも活かしながら、ピアノやコーラスまで複雑に入れていくんだとしたら、ベースラインが超重要になってくるな」って思って「ベーシストは誰にお願いしよう?」って考えた時に頭の中に最初に浮かんだのが、以前に観たレキシのライブで、超衝撃を受けた、山口寛雄さんでした。
ここの時点でも自分自身をだいぶ驚かせていたのですが、もうここまできたら、とことん曲を遠くまでジャンプさせようと思って、意を決してオファーしたら「この日だったら空けられるよ」と言って頂けて、それが『アンサーパレード』のリリースツアーファイナルの翌日の9/20だったんですけど、僕らは即決で「お願いします!」って言って。
ツアー終わった翌日にレコーディングなんてした事なかったんだけど、もう寛雄さんにベース弾いてもらえるのが嬉しすぎてハイになってて、ツアーファイナル終わって、家帰ってひたすら曲の練習して、気付いたら朝で、気付いたらレコスタに着いてて、ぐらいのタイム感で進んでいって、、
いざ、レコーディングが始まってからの事は、もう覚えてない。
日本でこんな人いるんだって思った。
音楽の沼の深さを知った。
ドラム+ベース+ピアノ の編成でせーので、ベーシックになる部分をレコーディングしたんだけど、トモはドラム叩きながら笑ってたからね。
後々聞いたら「あんだけすごいと笑顔になっちゃうよね」との事。
なにがすごいって口に出すと、なんだかどんな言葉も嘘になっちゃう気がして、うまく形容出来ないんだけど、音楽の楽しみ方を教えてくれました。長年音楽を続けてきたつもりだったけど、まだまだまだまだまだでした。
ベーシストの方は、是非ベースをコピーしてみて欲しいなあ。笑。
その後に、ソフトシンセで仮で入れていた音を、在日ファンクの方々に生のホーンの音でレコーディングさせてもらって。
(最終的にトランペット×2、トロンボーン×2、サックス×2の合計6管)
それも生音で入ると、すごい破壊力になって。
とんでもないトラックが出来上がった後に、いちいち感動して泣きながらボーカル入れて、複雑に組んだコーラスラインを忠実に表現すべく、コーラスにはフレンズのタロウさん、クレオちゃんの2名にご協力頂いて、クラップの音とかも色んな人の、色んな手の音をサンプリングして、無事に50〜60個のトラックが一つになって『MAGIC』になりました。
もうトラックの時点でも充分、自分の中では非現実だったけど、
その非現実世界の中で、まだ知らなかった自分に出会わせてくれて、
最終的にはボーカリストとしても、作詞・作曲家としても、限界突破出来た1曲になりました。
さあ、12月にサンタ帽を無理矢理被せられ、ピザを運んでいたあの頃の僕は、喜んでくれるだろうか?
ひとりぼっちでも寂しくない。
家族だったり、恋人だったり、親友がそばにいる人は、その人と共有し合って、更に幸せな所まで行けるような曲になってくれたらいいな。
(こんなペースで最後まで書ききれるかなあ。笑)
2曲目『坂道、白を告げて』
作曲は黒田隼之介、作詞は片岡健太です。
この曲はもう、かれこれ2年以上前からデモはあった曲で、
じゅんちゃんに「この曲めっちゃ良いから、次作に収録しようよ!」って言い続けていたぐらい、僕の中では推し曲だったんだけど、じゅんちゃん的には「いや、あんま良い曲にならないんじゃないですかねえ?笑」って言ってて(じゅんちゃんの性格的に単なる謙遜だったのだと思うけれど)、なんだかんだで、なかなか日の目を見なかった曲。
12月リリースに向けて、実は7月ぐらいにプリプロって言って、レコーディング前に入る、本気の準備! みたいな時間が丸々2日間あって、
本来だったらそこで、おおよそ作品の全体像とか、各曲の原型を持っていって、すり合わせる作業をするんだけど、
その時はもう、目の前の事をこなすので精一杯なターンで、全くなんの準備もしないまんまスタジオに入って、ドラムセット組んで、アンプ持ち込んで、セッティングし終わって「さあ、なにしましょう?」みたいになって。笑。
掛け算が、ゼロになにを掛けてもゼロなのと一緒で、ネタがゼロだとなんの掛け算のしようもないから
「よっしゃ。とりあえず出前でも取るか」
って言ってみんなでご飯食べて。
後々になって思うのは、その時に、あーでもないこーでもないって、話せたのがデカかったんだと思う。
『SALLY e.p』という作品が、実はコンセプトアルバムに限りなく近いような仕上がりになったのも、この日にみんなで話せた事が大きかったと思うし。
メンバー&スタッフ全員で、あーでもないこーでもないするような時間も、その時はなかったから。
ひたすら話をして、ご飯を2回食べてから、夜更けあたりになって、なんとなくネタになりそうなものが見えてきたからピックアップして、3曲分のなんとなくのベーシックトラックを録音してスタジオ終了。
そのうちの1曲が『坂道〜』でした。(その時の仮タイトルは『ロマンチック街道』)
翌日の朝から歌入れしようとなっていたので、夜中のうちに仮歌詞を書いたのですが、もう頭の中がスタジオジブリの『耳をすませば』という映画のイメージで進行が止まらなくて「うわーー、好きな人を後ろに乗せて、自転車で星空眺めながら、坂道を超高速で下りたーーい!」とか思っていたんだけど、冷静に考えて、「それって超危険行為じゃね?」って思って、何人かの友達に電話して相談して、そしたらやっぱりみんな「うん。それは危険」っていうから、すごい悩んじゃって。笑。
ひとまず映画『耳をすませば』の一体なにが素敵なのか?
という事をきちんと理解しようと思う所から始めてみたのですが、
僕はあの内容で『耳をすませば』というタイトルにした所が、素敵だなって思ったんですね。
五感を研ぎ澄ませないと、聞こえない音があるんだろうなあって。
そのイメージで書いたら、1時間ぐらいでスッて歌詞が書けて、
(こういう時はだいたい超良いか、翌朝見た時に嗚咽するぐらい最悪かのどっちかが多い)
それを持って行って翌朝歌入れしていったら、結構バチッとハマって(ホッ)
心がもっと高鳴るようにって、キーを半音上げてみたり、曲のテンポを上げたり微調整して、ピアノだけじゃなくて、シンセも入れたりして、小高い所から見上げる星空だったり、見下ろす街の灯りの感じも、イメージ通りに着地出来ました。
じゅんちゃんが作る曲はギターがはしゃいでいて欲しいなあと思うので、そこもしっかりとブレンド出来たし、
個人的にはベース&ドラムで完全に勝負決まった感があって、この曲でベースを弾いてくれたイジー(井嶋啓介)と、トモが “坂道 登る感” と “坂道 下る感” を出してくれたから、歌詞のストーリーがすごく作りやすかったのも、グッジョブポイントだと思います。
坂道を登る時と、下る時。
同じ道だったとしても、行きと帰りで、感情も状況も変わっていて、
同じ景色も、全く違ったように見える。
目の前の世界が変わる、一瞬の歌。
その瞬間、人って頭が真っ白になっているはずですから、
そのままの心に、色を加えずに伝える歌です。
(よし、良いペースだ。本当に休み休み読んで下さいね)
3曲目『まいった』
作曲&作詞は片岡健太
2015年の5月〜11月まで、僕がいる4人体制としてのsumikaは活動休止をしていました。
復帰したタイミングでこのNikkiは立ち上げたので、詳しくはNikkiの初回をご覧下さいましい。
2015年の7月〜10月あたりは、僕の不調の原因も分かって、各々曲を書き溜めていた時期で(まだ僕の身体も本調子ではなかったので、ハードなライブリハはしませんでした)、その休養中に一発目に書いた曲が、実はこの『まいった』という曲。
楽曲はこれまで、相当な数書いてきたと思うのですが、
sumikaとしてもそうだし、前に組んでいたバンドもそうだし、
僕はこれまであんまり “バラード” というものを書いてこなくって、というか書けなくて。
「なんでなのかな?」って最近まで分からなかったんですけど、それってバンドをやり始めてからずっと “ライブ” を意識して、来てくれる人を意識して、曲を作っていたからなのかなという答えに行き着きました。
よく「自分の為に曲書いてます」って色んな人に言うんですけど、あれも半分本当だけど、半分は嘘な気がして。
(無意識だから、その嘘に罪はないと思っています)
ライブ会場で全員が大合唱出来る歌って、僕の中でバラードじゃないんですよね。
バラードってもっと、クローズドで、ジメっとしていて、”僕” と “君” 以外の登場人物は一切不要!
みたいなものな気がするんです。
学生の時にバンドを始めてから、ライブをやらない期間が1ヶ月以上空いた事なんてなかったし、一緒にバンドやっているメンバーに〜ヶ月っていう単位で会わなかった事もないし、そもそも僕は生まれも育ちも川崎だから、会おうと思えば家族にも、地元の友達にもすぐ会えるような環境でずっと育ってきて、
本質的な孤独とは、向き合わないで生きて来れちゃったんですね。
だから常に人を意識してた。
これは無意識です。
一旦外に出ないと分からなかった。
昨年休養した時に、もう致し方なく、孤独な時間が出来て、
初めて「ああ、一人っていうか、これは独りだ」って思ったんです。
物理的に一人になることは慣れていたけど、精神的に独りになることには、てんで慣れていなかった。
想像以上に寂しかったし、本能的に人の温もりみたいなものを、欲していた。
声が出るようになって、音楽出来るぞってなって「さあ、じゃあなんか作るか」ってなった時に、自然と出てきたのが、独りの時に、一人に向けて歌った歌だったんです。
すごくクローズドで、マンツーマンな。
そんな狭い歌が、自然と出てきた。
一人に届いたらいいやっていうつもりで作ったから、Aメロとかは今までの自分の歌では有り得ないぐらいに、声張ってないし(キーが低い)、歌詞も完全に1対1で、喋り言葉である「」も多用して書いて。
誰かに聴かれる前程で作ってないから、誰かが歌えようと、歌えまいと関係ない。
自分だけが歌える歌で、ただそれだけでよかった。
そんな歌を、治りかけのか細い声で録音して、携帯に曲データを入れて、たまに自分だけで聴いていました。
ある日、久々に地元の友達と飲もうってなって、じゅんちゃんとは実家同士が隣の学区ぐらいの家の近さなので、その中にじゅんちゃんも居て、
酔っ払った勢いで、じゅんちゃんの耳にイヤフォン突っ込んで聴かせたんですね。
そしたら、オイオイ泣き出しちゃって、その場で僕も聴いたら涙止まらなくなっちゃって、2人で泣きながら何度も聴いて、そっから先の記憶ないみたいな。
(多分酔い潰れた。笑)
それでようやく、バラードの真理みたいなものに、ほんの少しだけ触れた気がしたんです。
「これが自分が求めていたバラードなんじゃないか」って思えて。
曲調とか、早さとか、使っている楽器とか、バラードの定義は様々あると思うんだけど、僕の中では “狭い” 曲なんだなと。
みんなに歌われる前程じゃなくて、他の誰にも見せてほしくない、あなただけに宛てた手紙。
好きな人に送った手紙やメールなんてもんを、もし誰かに見せられた日には、もういっそ自分が住んでる街ごと消して欲しくなるからね。笑。
そういう部分を誰にも見せられない、格好付けマンな所が、きっと自分の心のどこかにあったんだと思う。
活動休止という期間があったから気付けた事、現時点でもたくさんあるけど、これに気付くのには時間がかかったー。
1年近くかかった。笑。
曲にして、誰かに聴いてもらってから気付く事が、これからも沢山あるんだろうなあ。
(さあ、次でラストの収録曲ですよ!ゴールは近い!)
4曲目の『オレンジ』
作曲は小川貴之、作詞は片岡健太です。
この曲はユニクロのふんわりルームウェアキャンペーンムービーの、書き下ろし楽曲として、制作されました。
そもそも僕らsumikaが、ユニクロとコラボレーションしている事って、皆さんの目にはどのように見えているのだろうか?
A. 多額のお金を積んだ?
そんな金、うちの事務所にある訳ないだろうが!!世界のユニクロさんだぞ!!それに見合ったお金を、うちの事務所がご用意出来る訳ないだろうが!!
(注:うちの事務所は、すごく良い事務所なのであしからず。笑。ユニクロさんにCMを依頼したらいったい幾らかかるのかは、僕は全く知りません)
A.社員が親戚
親父はガス屋だし、母親は専業主婦だし、姉2人は美容部員だし、婆ちゃんは農家だし、爺ちゃんはニートだわ!(片岡家の経歴、垂れ流し)
メンバーの繋がりがあってとか、実は御曹司とか、そんな事も一切ないです。笑。
夏のステテコ&リラコ、そして秋冬のルームウェアと立て続けに1年に2本もCMに出演させて頂けると、自分が外から見ていても色々な事を想像するかなと思うので、まず関係性から少しお話したいなと思います。
出会いは、今年の夏。
夏のキャンペーンムービーの楽曲提供アーティストの候補の一つに、sumikaを推して下さった方がいたのですが、他の候補の方もきっとたくさんいるだろうし、休養〜復帰明けて間もない、実績も大してない自分達が選ばれるはずないだろうなと思っていたのですが、ユニクロ社内で会議して頂いた結果、光栄な事にsumikaを選んで頂く事になり、
そこからあれよあれよと、CMの撮影になりまして、まず撮影現場での人間的なハモりがあったんですね。
男子校生の部活動のようなsumikaのテンション感に、自然とリンクしてきてくれていて(無理してくれていたらごめんなさい。笑)、撮影中も常に素の自分達でいさせてくれて、全くストレスがなかったんです。
『夏は来ぬ』のカヴァーのレコーディングに関しても、Loversのアレンジを参考にしながら、イメージしてくれたので、自分達的には全く無理難題を言われる事なく、このプロジェクトはゴールテープを切りました。
の、はずが、
せっかくここまでハモったから、もっと一緒になにかやりたい!という事になりまして『アンサーパレード』のリリース東名阪ワンマンライブツアーに、帯同してくれる事になるんですね。
そして全会場の来場者の方に、ステテコ&リラコを無料プレゼントという太っ腹な計らいまで。
各公演後には打ち上げに出てくれて、お互いアツい話もし合って、
もうそれこそバンド同士が対バンしたような空気感が、そこで確かに生まれたんです。
ワンマンツアーファイナルの大阪公演の打ち上げが終わって、「絶対にまた一緒になにかやりたいね」という話をしまして、ユニクロサイドが有言実行してくれたのが今年の秋冬のルームウェアのCMというわけです。
なんだかようやくきちんと関係性について話せたような気がする。
別に全部話すような事でもないのかもしれないけれど、sumikaというバンドがコラボレーションを大切にしているからこそ、関係性については、きちんと話しておきたかったのです。
きちんとお互い仕事としてやりきるぞっていうプライドはあるけれど、ビジネスライクなだけじゃなくて、リアルに好きですからね、ユニクロチーム。
関わる人の人間性を知らないと、必死になんてなれないから。
今回のCM楽曲は、デモの〆切まで残り3日というタイミングで、最後の最後でおがりんが書いてきた曲がこの『オレンジ』で、別の候補曲もあったのですが、せっかく作り上げた信頼関係の中では、兎に角、一切妥協をしたくなかった。
「もし違う曲でこのプロジェクトが進んでいたら…」と今考えるとゾッとするので、最終打席で名曲を書いてきたおがりんは、みんなのスーパーヒーローだった。
歌詞に関しては「このワードは必ず入れて下さい」というような指定もなく、事前の打ち合わせもせず、書き上げた後の修正もされないままで、収録されています。
ユニクロ側が求めていたものと、sumikaというバンドとして書きたいものが、完全に一緒でした。
さすがにこのリンクには驚いた。笑。
“やらされている事” と “やりたくてやっている事” の違いが、覆い隠せないような人間達の集まりがsumikaなので、
sumikaというバンド名で、こんなコンセプトでバンドを動かしていて、そしてこの曲で歌っている事を、自然と思えるタイミングで良かったなあと思いました。
休止から復活する際のNikkiにも書きましたが、正しく、迷わず、帰ってこれるのは、その場所に灯りがともっているから。
帰る場所があるから、スタートが出来る。
帰る場所があるから、旅は成立する。
そんな場所を僕達が、この曲で作る事が出来たのらば、ここから先、物理的に離れる事があったって、また必ず会えるし、会えない時間もワクワク出来る。
それは誰とであっても変わらない。
家族でも、恋人でも、親友でも、仕事仲間でも、久々に会える大切な人には、なるべく素敵な話がしたい。
そういう機会が、待っているんじゃないかって思えると、なんだか今も、もう少し頑張れる気がするから。



——そのような4曲に、初回盤には大尊敬するTHE YELLOW MONKEYのカヴァー『TACTICS』も加えて『SALLY e.p』が、完成しました。
『坂道、白を告げて』の話をしている所で、今作は限りなくコンセプトアルバムに近いと、書いたのだけれども、ではそのコンセプトはなにか? と言いますと、
プリプロのスタジオで話した、あーでもないこーでもないの内容。
ライブが始まるまでは、無表情で手も上げず、拍手もしなかった人が、
ライブが終わる頃には、笑いながら、涙を流して拍手する。
そんな瞬間をステージ上から見せてもらいました。
ある人は「2年前に観たsumikaのライブがきっかけで、自分に夢が出来て、今その夢を仕事にしています」と言ってくれた。
ある人は「sumikaのライブで出会った人と、来年結婚します」と報告してくれた。
政治家の人や、偉い先生方が数時間かけて、どれだけ理路整然と諭したとしても出来ないような事が、音楽では1秒間で出来てしまうんじゃないかと思わせてもらえて、その現象に名前をつけるならば、それは “魔法” だ。
その一瞬が永遠になりますようにと、願いを込めて、
その一瞬の証人になれるような、存在で、作品で在りたいという気持ちを込めて、
魔法使いの名前から『SALLY』と名付けました。
実は他の意味もあるので、それは各所の取材でお話しているので、その機会に。(ちょい焦らし)
つらつらと書いていたら、超絶長くなってしまいましたが、
それほどに思い入れの強い作品が完成しました。
sumikaとしては激動の2016年、様々な変化があった年の締めくくりに、このような作品を発表出来る事を、嬉しく思えます。
どうか皆さんの生活に寄り添ってくれますように◎
sumika
片岡健太
————————
sumika
1st EP
『SALLY e.p』

発売日:2016年12月7日
価格:¥1,380+tax
品番:NOID-0015(初回盤)、NOID-0016(通常盤)
発売元:[NOiD]/murffin discs
販売元:Japan Music System
[全4曲収録]
1.MAGIC【MV】
2.坂道、白を告げて
3.まいった
4.オレンジ
ボーナストラック.TACTICS (THE YELLOW MONKEY カバー) ※初回盤のみ収録
【全曲トレイラー映像】
■TOWER RECORDS
■HMV
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